JAY'ED
日本人の父と、ポリネシア系ニュージーランド人の母の間に生まれ、10歳までニュージーランドで過ごしてきたJAY’EDは日英のバイリンガルとして育ち、音楽に関しても洋邦、ジャンル、年代分け隔てなく楽しめる素直さとキャパシティを持ちあわせている。古代より特にアジアで珍重されてきた 宝石、翡翠から名付けられた本名のJADEに、英語で使われる過去、受動を 意味する”ED”を加えることで、古き良 きものも自然に受け入れられるような シンガーを目指し、より個性を強調する綴りになった。“何より一番好きで、自分にもっともしっくりくる→歌いたくなるのがR&Bだという基本軸こそは揺るがないが、いわゆる“真っ黒(マッチョ)な歌い方” は好まない、どちらかと言えば非シャウター的スタンスで、ナイーブ、センシティヴ、ロマンティック…どうとでも形容出来るが、歌い手としてのJAY’EDの持ち味は総じてスウィートかつエモーショナルな類のものだ。
10代のころから地元大阪を拠点に活動を始めると、当時、彼のようなシンガーにとって決して追い風が吹いているとは言い難かったクラブ・シーンではあったが、その中でもJAY’EDの歌声と才能は周囲から絶大な支持を得ていく。2002年からDOBERMAN INCを始めとするヒップホップ・アーティストと共演を数多くこなし、初のオリジナル・シングル「Why」(’05)その時期(’02~’06)の録音物をコンパイルしたコンピレーション・アルバム『The Gift ̃just let me know̃』(’06)を発表、インディーズながら2万枚以上を売上げ、関西における存在を確立した。メジャーデビュー前であったこの頃すでに、ジャスティン・ティンバーレイク、シアラ、Jホリディといった“全米No.1アーティスト”たちの来日公演の前座に抜擢されてきた実力はもちろんのこと、数々のヒップホップ・アーティストとのコラボで磨いてきたストリートなエッジとセンシティヴでソウルフルなフィーリングの中に共存する独特のポップ・センスは、JAY’EDがハイブリッド・シンガーと呼ばれる所以だろう。
そして2008年5月、満を持してシングル「Superwoman」でメジャーデビューを果たす。自分のルーツであるR&Bを土台にしつつも「常に新しいものを取り入れ、進化していきたい」という本人の言葉通り、様々なタイプの歌を届けられる表現者を目指し、それを具現化したのが2008年8月リリースのセカンド・シングル「ずっと一緒」だ。「英語で歌う方が楽」でありながら、「心は日本人、だから日本語の美しさを大切にしたい」というJAY’EDのこだわりが彼を成長へと導いている。そして2009年2月に、その“日本語の美しさ”を結実させ、JAY’EDの声の魅力を最大限に活かしたバラード「最後の優しさ」を、7月22日には4枚目となる両A面シングル、「CRY FOR YOU / Can’t Let Go」を、10月14日にはau by KDDIのCMタイアップ・ソングとして「Everybody」をリリース。10月28日には待望の1stアルバム「MUSICATION」を発売し、初のソロ・ツアーを成功させた。“MUSICATION”とはMUSICとCOMMUNICATIONというワードを融合させたJAY’ED自身が作った造語であり、言葉を超えたコミュニケーション・ツールと成り得る音楽の可能性を表現した、彼の信念を示唆するタイトルである。JAY’EDの類い稀なる才能は各方面で注目され、この一年だけでもストリート系のヒップホップからDJ KAORIに至まで、幅広いアーティスト達の客演をこなしてきている。世界に通用する“J-POPのニュースタンダード”という地位に最も近いところにいるシンガーであることは間違いない。
10代のころから地元大阪を拠点に活動を始めると、当時、彼のようなシンガーにとって決して追い風が吹いているとは言い難かったクラブ・シーンではあったが、その中でもJAY’EDの歌声と才能は周囲から絶大な支持を得ていく。2002年からDOBERMAN INCを始めとするヒップホップ・アーティストと共演を数多くこなし、初のオリジナル・シングル「Why」(’05)その時期(’02~’06)の録音物をコンパイルしたコンピレーション・アルバム『The Gift ̃just let me know̃』(’06)を発表、インディーズながら2万枚以上を売上げ、関西における存在を確立した。メジャーデビュー前であったこの頃すでに、ジャスティン・ティンバーレイク、シアラ、Jホリディといった“全米No.1アーティスト”たちの来日公演の前座に抜擢されてきた実力はもちろんのこと、数々のヒップホップ・アーティストとのコラボで磨いてきたストリートなエッジとセンシティヴでソウルフルなフィーリングの中に共存する独特のポップ・センスは、JAY’EDがハイブリッド・シンガーと呼ばれる所以だろう。
そして2008年5月、満を持してシングル「Superwoman」でメジャーデビューを果たす。自分のルーツであるR&Bを土台にしつつも「常に新しいものを取り入れ、進化していきたい」という本人の言葉通り、様々なタイプの歌を届けられる表現者を目指し、それを具現化したのが2008年8月リリースのセカンド・シングル「ずっと一緒」だ。「英語で歌う方が楽」でありながら、「心は日本人、だから日本語の美しさを大切にしたい」というJAY’EDのこだわりが彼を成長へと導いている。そして2009年2月に、その“日本語の美しさ”を結実させ、JAY’EDの声の魅力を最大限に活かしたバラード「最後の優しさ」を、7月22日には4枚目となる両A面シングル、「CRY FOR YOU / Can’t Let Go」を、10月14日にはau by KDDIのCMタイアップ・ソングとして「Everybody」をリリース。10月28日には待望の1stアルバム「MUSICATION」を発売し、初のソロ・ツアーを成功させた。“MUSICATION”とはMUSICとCOMMUNICATIONというワードを融合させたJAY’ED自身が作った造語であり、言葉を超えたコミュニケーション・ツールと成り得る音楽の可能性を表現した、彼の信念を示唆するタイトルである。JAY’EDの類い稀なる才能は各方面で注目され、この一年だけでもストリート系のヒップホップからDJ KAORIに至まで、幅広いアーティスト達の客演をこなしてきている。世界に通用する“J-POPのニュースタンダード”という地位に最も近いところにいるシンガーであることは間違いない。